リアル10巻を障害者視点で読んで

リアル10巻


リアル10巻を読みました。
また今回も泣きました。

知らない人のために端的に言うと、
これは「バスケ×障害」の漫画。
(作者は超有名漫画「スラムダンク」を描いた井上雄彦)


主人公は3人。(高校生)
車いすバスケの選手、戸川。
交通事故で下半身麻痺になった高校バスケキャプテンの高橋。
その高橋にバスケ部でいじめられ退学になった
バスケ大好きヤンキー?野宮。


この「リアル」というタイトルを、
どういう意味で作者がつけたのかは知らないけれど、
「障害者」を聖人扱いせず、
いいことも悪いこともありのままに伝えている「リアル」な本だと思います。
それ以外にも親子の関係や、高校生活、仲間などを
夢物語でも理想論でもなく「リアル」に描いています。


読み始めた時は健聴者だったことも手伝って、
「障害者」が主人公というのは、
「なにか」を背負っている人を描くための
ただのアイコンやフィルターだと思ってました。

彼らの過去や視点を通じて、
人間関係、生き方について考えさせられる本だと思ってました。

いや、もちろんそれは今も変わらないんだけど、
今は、障害者視点の「あるある」本として
自分の思いを「リアル」に代弁してくれる本になってしまったのは
なんともいえない皮肉です。

視点を変えれば、
私の「あるある」がたまたま「障害者」だけど、
ある人にとっては、バスケだったり、親が離婚してることだったり、
またある人にとっては、いじめにあっている描写だったり、事故の加害者だったり
他にも私が思いつかないような視点での「リアル」がぎゅっと詰まっていそうです。


さてさて、
泣いてしまったというのは、高橋くんの一言。


※以下ネタばれあり


「しがみついていくしかないんだ」って一言に、涙。


障害を持つまでの高橋君は、クラスの中心的存在で、
高校バスケ部のキャプテンで、女の子にもモテまくっていて
何も怖いものもなく、自分をランク付けるとしたら
間違いなくAランクだと自負しています。


ところが、事故をきっかけにどん底へ。

下半身が動かないこと、
しかも二度と回復しないことを通告され、
自分はEランクどころか底辺だと思うように。


足を失っていきなり車いす生活ができるわけなく、
訓練の必要があるのですが、
あまりにもハードな上に、
車いす人生に対して明るい未来が描けないため
モチベーションの維持ができません。


わりと、彼の考えに、自分の考えがシンクロしてしまいます。


障害者だからって、
何に対しても素直に頑張ったり、くじけないというわけじゃないってこと。
障害を受け入れることの難しさ、
かつての仲間たちと隔たれた孤独感。


それが高橋君からはビシバシ伝わってきます。


で、「やる気」がなかなか出ない高橋君が
ついに10巻にして、「車いすバスケ」と対峙するわけです。
昼のリハビリの時間に久々に触ったバスケットボールと、
車いすバスケのメンバー。

普通の漫画なら、ここで
「へい!一緒にバスケしようぜ(キラーンと満面の笑顔)」
「いいぜ!」
と爽やか青春が繰り広げられる所ですが、
そうはいかないのがこの漫画。


ただ、高橋君は見学するだけです。
でもそこで、久々にバスケットボールに触り、
選手にパスします。

たった、それだけなんですが、
彼の中で何かが変わった。


そして、夜、一人でこっそり体育館に向かってしまう。
「しがみついていくしかないんだ」って。



みっともなくても、
他人からみたら小さな一歩でも、
それでも、自分でみつけた「何か」にしがみついた高橋君に拍手を送りたい。
自分もしがみつかないとなって、胸がいっぱいになりました。


ここまでの苦しい道のりをよくぞ乗り越えたね!っていう親心でほろり。
障害を受け入れて、それでも前を向かないといけないんだよねと共感して、ほろり。
生きていくって、キレイごとじゃないんだよって、またほろほろり。


ここまでずっと葛藤して、苦しんできて、
何か壁を乗り越えても、また次の壁に阻まれる姿を読んできているので、
ようやくちょっと彼を支える柱になりそうな展開にホッ。
高橋君、ぜんぜんいい子じゃなくて、むしろ嫌な奴なのに、
良かったな〜って思っちゃいました。


話はだいぶそれますが、
この本を読んでいたおかげで、だいぶ助けられました。

障害を受け入れていくときに、
無理にがんばらなくてもいいって心の余裕が生まれこと。


あと、恥ずかしい話ですが、
毎日おそろしいスピードで難聴が進んでいって、
同時にめまいと吐き気と腹痛も酷くて、
一人で日常生活を送ることが困難だったとき、
正直、もう生きていくのが辛いと思っていた日々がありました。
どうやったらだれにも迷惑をかけずに人生を終えることができるんだろうって
ことばっかり考えてました。

でも、そのとき「子供を残しては死ねない」って思ったんですよね。
なんでそう思ったんだろ〜ってよくよく考えてみたら、
この本で、父親が突然いなくなった子供の哀しみが描かれていて、
そこで大号泣したことがあったんですよ。

子どもにとって、親の存在がいかに大きいか。


この漫画の中で、自分がいなくなった後の息子の哀しみを
仮想体験できたから、今も私は生きているのかも。


そのときの感情が心のどこかに残っていたから、
今の自分がいるんですね。


有名漫画家がこの題材を扱ってくれていてよかった。



と、障害者視点でこの漫画の感想を語ってみました。
それ抜きでも十分面白いです。
今も昔も泣ける本です。


【カテゴリー:障害者関連】  |t.0 |comments(15) |▲TOP▲|

自分が障害者になるまで知らなかったのですが、
毎年、以下の期間が障害者週間人権週間と決まっているそうです。

Ayamiさん出演のテレビ番組の情報を得るために、HPに行って初めて知りましたkyu

■障害者週間 12月3日〜12月9日 (法務省)
■人権週間  12月4日〜12月10日 (内閣府)



障害者週間の意図としては、

国民の間に広く障害者の福祉についての関心と理解を深めるとともに、
障害者が社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に
積極的に参加する意欲を高めることを目的とした週間。


ふむふむ 。
でもって政府広報オンラインにも、
事故や病気などによって、障害はだれにも生じ得るものです。障害は多種多様で、外見では分からない障害もあります。障害による不自由さはあっても、周囲の理解や配慮があればできることがたくさんあります。障害のある方の意見を聞いて、日常生活や事業活動の中でできる配慮や工夫を一緒に考えてみましょう。だれもが暮らしやすい共生社会の実現は、そうした一歩から始まります。


となかなかいいことが書いてあります。
「障害」は、誰にでも起こりうることなのに、
無関心なのか、それとも忙しすぎるのか、もしかすると考えるのが怖いのか、
残念ながら、あまり話題にならないですよね。

アンタッチャブルな雰囲気は昔よりは希薄になっていると思うのですが、
それでもまだまだまだ・・・。

広報が足りてない?!
これに関しては、障害者表記を、障害者にしたり、障がい者にしたり、
障害をお持ちの方なんてややこしい言い方をするので
広報する都道府県・市区町村の足並みがそろってないのも一因かと。
  ⇒「障害者」表現変えます

地方自治体の障害者表記の件はひとまず置いといて、

セカチューブームで、
若者のドナー登録が増加したというニュースを見たことがあります。

オレンジデイズを見て、
手話サークルに入る人も増えたとか。

何のきっかけでもいいので、障害者の立場を想像する機会が増えたり、
行動してくれる人がいいなって思います。
私自身も、だれかのために動けたらいいな。



さて、人権週間
これも人権と言っても幅広くて、法務省のHPを見ると
(1)「女性の人権を守ろう」
(2)「子どもの人権を守ろう」
(3)「高齢者を大切にする心を育てよう」
(4)「障害のある人の完全参加と平等を実現しよう」
(5)「部落差別をなくそう」
(6)「アイヌの人々に対する理解を深めよう」
(7)「外国人の人権を尊重しよう」
(8)「HIV感染者やハンセン病患者等に対する偏見をなくそう」
(9)「刑を終えて出所した人に対する偏見をなくそう」
(10)「犯罪被害者とその家族の人権に配慮しよう」
(11)「インターネットを悪用した人権侵害は止めよう」
(12)「ホームレスに対する偏見をなくそう」
(13)「性的指向を理由とする差別をなくそう」
(14)「性同一性障害を理由とする差別をなくそう」
(15)「北朝鮮当局による人権侵害問題に対する認識を深めよう」
(16)「人身取引をなくそう」


多い…(笑)
でも、しっかり(4)で障害者についても言及されてますねkyu


人権とは、「すべての人々が生命と自由を確保し,それぞれの幸福を追求する権利」
あるいは「人間が人間らしく生きる権利で,生まれながらに持つ権利」のことですが、

上記の項目で、いまいちよくわからない人権があって、
法務省:おもな人権課題をよんで、やっと理解できたのですが、
 (13や15とか、こんな書き方ですぐピンと来ますか?私だけ?)


「なんだかよくわかんない」
   「私ができることって何?」
       「まず、身近にいない気がする」
って思ったのは、そのままそっくり、
障害者に対しての世間の認識と同じですよね。

そんな人、いない。
いるかもしれないけれど、周りにはいない。
いたけれど、自分には関係ない。

まずは自分の意識から、変えていかねば。


【カテゴリー:障害者関連】  |t.0 |comments(10) |▲TOP▲|

「障害者」表現変えます

「障害者」という言葉にマイナスのイメージがあるとして、
大阪府吹田市が市の文書などに新しい言葉を使う方針を打ち出し、波紋が広がっている。
と産経新聞に書いてありました。

障害者として、一言。
表現を変えても、障害がなくなるわけではないので、意味がないと思います。

内閣府によると、「害」の字を避けて「障がい者」と表記する自治体は5年ほど前から増えているが、
表現そのものを見直す試みは異例だそうです。



ちなみに「障がい者」という表記もいかがなものかと。
というよりも、「障がい者」表記が嫌いです。
ひらがな交じりの言葉って、なんだか馬鹿にされてる気がしませんか?
漢字が読めない小学生と同じ扱いを受けてるようにすら感じます。
さすがにそれは被害妄想ですが、中途半端な半人前と言われてるみたいで。

そもそも、障害者の「」はもとは「さまたげ」を意味する「礙・碍」だそうです。
当用漢字でないため「障害者」が使われるようになり、
「害」から悪いネガティブなイメージを連想することを危惧しているそうですが、
なんかピントがずれてるように感じてしまいます。

障害を他の表現に言い換えて、ハンディキャップと読んだりもしますが、う〜む。
たとえば、障害者を「愛の人」だとかに替えたとしてもその言葉が認知されなければ、
結局、「あ、私、愛の人です。え?あ、あの、障害者です。」って言いなおすわけでしょ?余計に恥ずかしい気がするのですが。

言葉の表現がどうのこうのよりも、
障害を持っていても社会に参画できるシステムつくりの方が先では?

表現を変えるということで、社会に障害者問題を提起している面もあるので
悪いことばかりではないですが、う〜ん、いまいち。



障害者のの字がイヤだっていう考えは、
ただもう、「くさいものにフタしちゃえ」的な精神構造が見えてきます。
言葉ってただの記号でしょ?それ以上でそれ以下でもないのに、
の字が目立って見えちゃうのは、心理学でいうシャドウ
嫌いな人は、自分の嫌いな部分が目立つ人。つまり同属嫌悪という話です。

障害者自身が、害の字が気になるのならば、
障害にコンプレックスを持っている証拠(でも、これはしょうがないかな。)
健常者が、害の字が気になるのであれば、
いつか、もしかして、自分が障害者になることへの不安やおそれが出ているのでは?

そんなことを考えてしまいました。
とにかく、新潟は障害者を変な名前にしないでほしいです。

  矢印人工内耳から1年。実際に1年間で聞こえる音・聞こえない音はこんな感じ


【カテゴリー:障害者関連】  |t.0 |comments(3) |▲TOP▲|

| 1/1PAGES |

calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< September 2018 >>

Latest entries


【10件以上は表示されません。
 一番下まで読んで>>をクリック】

profile

links

categories

archives

recent comment

recent trackback

search this site.

others

mobile

qrcode